四條司家は、「和食・日本料理」の祖神と崇められている四條流の祖であり、
四條中納言藤原朝臣山蔭卿から始まります。
平安初期、第五十八代光孝天皇は料理に造詣深くあらせられ、
自ら庖丁をとられて数々の宮中行事を再興されました。
四條家に深い御縁のある天皇であられるので若き頃から、
料理を作ったり味わったりなさるお相手に同じ趣味をもつ山蔭卿をお選びになりました。
1200年の歴史があり、
元侯爵の四條家は、
藤原氏名流に属し、
即ち大織冠(藤原)鎌足の孫の房前を祖とします。
中世には羽林家の家格の高い堂上公卿の家柄です。
羽林家とは、大納言までの昇進が可能で、
しかも近衛中、少将の兼任が出来る家格を有する家のことです。
四條家は永きに亘って栄えたため、
それより分流したものとしては、
中御家、六條、九條、紙屋河、大宮、園池、油小路、
八條、鷲尾、山科、西大路、櫛笥等の諸家がでています。
古来正月十九日に宮中清涼殿において
天皇の御前にて四條流司家
「鶴の御前庖丁儀式」が執り行われ
新年「事初め儀式」として伝承されてまいりました。
本年(令和五年)は西暦の一月二十八日、
東京日枝神社に於いて「包丁初式」ご執り行われ、
私、西邑(橘朝臣)清志が四條隆彦氏の介添をいたしました。