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絶対的な孤独にいてこそ本当の神との交流が、できる。

「絶対的な孤独にいてこそ本当の神との交流が、できる。」

 

 

この言葉の解説は、神とあなたが交流できるようになるように、

絶対的な孤独に陥いる状況になるように、

神が試練を与える。のはそのためなのです。

宗教家の中には宗教が大切だと言う人もいます。しかし、

大切なのは宗教ではなく「信心」です。

世にいう歴史的宗教家というのは、

小さいときから苦労したり、

病気や

失業状態で苦しんだり、

貧困状態の中で育ったり、

親戚縁者の中でキチガイ扱いされたり、

中には、牢屋に入れられたりするものもいたり。

鎌倉時代の宗教家 日蓮上人もあえて鎌倉幕府と闘ったりしました。

伊豆や佐渡島に島流しにされたり、

あられもない試練をお受けになった。

鎌倉幕府からそのようにされるような事を本人も言うからなんですけどね、、、笑。

反感や反発されても幕府から攻撃されても言わなくちゃいられない大和魂を持っているんですよ。

親鸞なんかもそうです。

楽々と豊かなる楽しい日々を送った宗教家はいないわけです。

もし、楽々と豊かな宗教家がいたら狐狸の類いと言えるでしょう。

何故、宗教家には「試練」が必要だと。

そういうことで、人格がそれで磨かれていくのです。

絶対的なる孤独感の中に陥れられたときに、

魂の底から雄叫びのような声が出てきて叫ぶ!

そのときに深い部分で神様が聞いてくださるわけです。

これは、経営者も同じだと思います。

中々結婚出来なかったり、

中々子供が産まれなかったり、

やっと産まれても大変な環境や状態だったり、

神様は何らかの試練を与えて絶対的な孤独にいるように仕向けていく。

それは本当の神との交流があって、

まず「信心」の誠を築き上げなければ宗教的な人生と

宗教家的な人格を形成できないからそのような状況にされるわけです。

だからと言って人間って、どう転んでも幸せなんですよね。

この世的に恵まれないと思っている人は、あの世的には恵まれているわけです。

だから会社が倒産したって生きてさえいれば、また時が来たら再起できるわけです。

さて、

「私は、神社を参拝してるんですが、それなりのおかげを頂いていて、

また参拝して、教えられた事をそれなりに実践しているのですが、

今だに、なかなか神様というものが分からないんです。」

と質問を頂いたことがありました。

その人が、神様というものが分からない理由。

それは、その人が、今までに絶対的な孤独にいたことが無いからなんです。

その絶対的な孤独の境地に入ったこともないし、

神様〜という雄叫びを出した事もない。

絶対的な境地の中からの雄叫びが無いからなんです。

それでは、ただ、神社に行って来ました〜。で終わりです。日記じゃないんですから、、、。

宮司や神主と会ったと言っている人はいるが、

神様と会っている。という人がいないわけです。

団体参拝をしても

普段から絶対的な孤独にいないから、

本当の神様との交流ができないわけです。

瞑想したって無理です。メディテーション程危険なものはない。理由は瞑想の最中に魔が入るからです。瞑想なんてものは、ただ精神が奥に突き抜けるだけですからね。

魂というのは霊体じゃないんですよ。

私たちは、全知全能を秘めているわけですよ。

その全知全能を発見するために、皆で参拝したり、旅に出て書を学び、友と語るわけです。

私たちはどんな境地に追い込まれていても、

「神様の慈愛の中にいる」という事に気づかずにいます。

ところで、私は大本教の信者ではありませんが、

大本教の出口ナオはこのように言っていました。

「身体(み)の苦労など、

    気苦労などしてもらわんと、

    誠の神示は受け取れんぞよ。

    お嬢さんやぼんぼんでは

    神の御用などは出来んぞよ。」

と。

要するに、お嬢ちゃんやお坊ちゃんでは、いかんのだよ。

と言っている。

有名人の子供とか、官僚とか外交官僚とか偉さそうにしているけど、会ってみると本当にろくな人間はいませんよ。

皆様のように苦労している経営者の方が余程神に近いかですよ。

私は皆様に参拝する時に、

日本の事、政治の事を祈って下さい。と言っていますが、

日本が良くなるように。

政治が良くなるようにと祈ってはいるが、

お前ごときが、政治の事を言って何になるんだ。

と思う時があります。

政治や地球の問題だとかそういうことよりも

お前らが本当に「信心」が出来ていない事の方が、

日本にとって、地球にとって、問題なんだよ。

という事を真剣に考えているんです。

その前に自分自身を霊的に救うことが大事であり、

自分を肉体的に物質的に救うことの方が大事なのではないかと。思います。

さらに大切な事は「自らの信心を誠にすること」ではないのか。

1 誰々の弥栄がとか、2 日本の弥栄がとか、

「弥栄」の本当の意味を理解しているのかね?

「弥栄」とは、日本の神霊界の中心が弥栄え、

神様の御用に生きる私たち一人一人の御魂が弥栄えることなんです。

皆さん憶えたことを、参拝するときに言っていますが、

頭で上げるセリフは神とは感応はしないんですよ。

日蓮は、仏教だけではないという事を知ってましたか、

彼は、吉田家から吉田神道を伝授されていたわけです。

こんな話し令和塾では教えてもらえないですよね?

やはり、西邑の令和塾でないとこういう話しは出てこない。

本を読んで話せる話しなら意味がないわけです。

日蓮は、吉田家から神道を伝授され、魂を輝かせる事ができた。

魂を輝かせるチカラはやはり神道なんですよ。

神道の、、

伊勢の大神は日本国そのものを考えていらっしゃる。

だからこそ、そこ(伊勢の神宮)で、個人的な祈りはしてはいけないし、

個人的な参拝なんて考えてはいけないわけです。

以上のことを踏まえて、今月713の九頭龍神社参拝にいらして頂けましたら幸いです。

西邑清志 拝

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