銀座の開運食シリーズ(1)

銀座の開運食シリーズ(1

煉瓦亭の14年ぶりに復活したオムライス。明治当時のレシピで料理された

明治オムライスを食べたくなります。

世阿弥の言葉より

「家、家にあらず。継ぐをもて家とす」

                                               〜世阿弥の言葉より

家というものを継いでいるだけで、家を継いだとはいえない。

その家の芸をきちんと継承してこそ、家が続くといえるのだ。

世阿弥は、「たとえ自分の子であっても、その子に才能がなければ、

芸の秘伝を教えてはならない」と言っている。

箱根九頭龍祈願術を体得した堤康次郎、笹川良一が次代にその祈願術の秘伝を教えなかったのは

これである。

今、激しい競争社会の中で

「継ぐに値するものが継ぐべきなのでしょう」

〜伝統芸能でも神職でも企業でも同じ〜

                                            写真:世阿弥

西邑清志 拝

「先祖を麁末(そまつ)にする時は我が子孫も繁昌せず」『貞丈家訓』

「先祖を麁末(そまつ)にする時は我が子孫も繁昌せず」『貞丈家訓』

713日からお盆が始まります。関東のお盆は713日からですが、関東の地獄界霊はやはりこの時期に此の世に出て来て我々に影響するのです。

だから、東京九段の靖国神社でも明日7/13から「みたま祭り」が行われるわけです。

日本では、昔から毎年713日、813日の夕方に「迎え火」をしてご先祖(祖霊)を家に迎え入れます。

そして、716816日の夕方に「送り火」をしてご先祖(祖霊)を送ります。

要するに「お盆」とは、ご先祖(祖霊)を崇拝させて頂くことなのですが、

お盆の時期に、私たちは注意することがあります。

昔からお盆には「地獄の釜の蓋が開く」と云われます。

「お盆」の時期に地獄や天国にいらっしゃるご先祖が現世(我々の住む世界)に来ても良い。と神さまに(子孫に会いに行って良いと)許された期間なのです。

但し、お盆が近づくと、「何となく体が疲れる」、「頭がボーッとする」、「やる気が出ない」という症状が現れます。

この症状は梅雨や夏バテのせいばかりではないのです。

お盆に、ご先祖(祖霊)が私たち(子孫)に憑くために起こす戒告でもあります。

「お盆」は、ご先祖(祖霊)が神様からご許可をいただいて、霊界から子孫のところへ降りられる唯一の時期です。

この時期を使って「早く供養してほしい」、「今の(地獄界の)苦しい状態を分かってほしい」、

とご先祖(祖霊)が子孫に憑いて訴えかけると云われます。

ご家族の中で神様のことに理解のある方、直感や霊感にすぐれている方など親族の中でも敏感な方にはその現象、「何となく体が疲れる」、「頭がボーッとする」、「やる気が出ない」、が強く現れます。

この時期の海水浴や海の側に行くのも避けてください。

この「お盆」の時期は、おじいさん、おばあさん、ご先祖さまの好きなものをお供えして、しかるべきお寺でご供養の祈祷をさせていただきましょう。

即ち、ご先祖様のためにさせていただく事=ご自分のためになっていく。

ということになるのです。

四万六千日

昨日710日の浅草寺「四万六千日」参りツアーにご参加頂きました皆様ありがとうございました。


1日参拝しただけで「四万六千日」参拝したと同じ功徳=観音様から今年最大の「絶大なる幸運」を頂けて良かったですね!


浅草の観音様は普段でもありがたい「聖観音様」がいらっしゃるのですが、昨日710日は、年に1回、浅草に降りてこられる「正観音様」がいらっしゃったんです!


1年に1日しか会えない「正観音様」に会えるなんてワクワクしますね。「観世音菩薩」は四次元界、「聖観音」は五次元界、「正観音」はなんと六次元界の観音様です。


六次元界とは、高級神と同等の位の観音様ということで、台湾人を含めて亜細亜の人々が世界の中で最強の観音様は日本の、それも浅草寺の聖観音と認識されているのです。


更に「正観音」となられる「四万六千日」の日に浅草寺に参拝した方は、結婚でも同じ先祖から出ている子孫同士のご縁を結んでくださいます。


仕事でも同じ血脈の取引先とのご縁を結んでくださいます。これら「正観音様」の功徳は昨日710日お参りした3日後から出てきます。


参拝した6日以内に出会った人は、その様な「縁」のある人です。又、正観音様は本当に困っているとき、救ってくださいますが、心が間違った方に向いてしまっていると突き落とされます!


でも、ただ突き落とすのではなく、後になって、これで良かったんだという結果にしてくださいます。


そして昨日は「金龍山 浅草寺」におります金龍神と他の四つの龍神がお出ましになられていました。その日が「四万六千日」だったのです。


おわりに、昨日1日しか分けられなかった「雷除け」のお札につきまして説明させて頂きます。

    江戸の昔、落雷のあった農家で「赤とうもろこし」を吊るしていた農家だけが無事であったことから、文化年間(1804~18)以後に「雷除(かみなりよけ)」として赤とうもろこしが売られるようになりました。


ところが明治初年に不作が原因で赤とうもろこしの出店ができなかったことから、多くの人々の要望によって「四万六千日」のご縁日に「雷除」のお札が浅草寺から授与されるようになりました。

それが今日に至っております。

西邑清志 拝

一年に一度の今年の七夕七時は、、、

一年に一度の今年の七夕七時は和食(特に炊き込みご飯)と日本酒をとるのが良かったその理由は、、、

日本酒、

真澄中乗りさん積善の諏訪の大神の流れが、、、

絶対的な孤独にいてこそ本当の神との交流が、できる。

「絶対的な孤独にいてこそ本当の神との交流が、できる。」

 

 

この言葉の解説は、神とあなたが交流できるようになるように、

絶対的な孤独に陥いる状況になるように、

神が試練を与える。のはそのためなのです。

宗教家の中には宗教が大切だと言う人もいます。しかし、

大切なのは宗教ではなく「信心」です。

世にいう歴史的宗教家というのは、

小さいときから苦労したり、

病気や

失業状態で苦しんだり、

貧困状態の中で育ったり、

親戚縁者の中でキチガイ扱いされたり、

中には、牢屋に入れられたりするものもいたり。

鎌倉時代の宗教家 日蓮上人もあえて鎌倉幕府と闘ったりしました。

伊豆や佐渡島に島流しにされたり、

あられもない試練をお受けになった。

鎌倉幕府からそのようにされるような事を本人も言うからなんですけどね、、、笑。

反感や反発されても幕府から攻撃されても言わなくちゃいられない大和魂を持っているんですよ。

親鸞なんかもそうです。

楽々と豊かなる楽しい日々を送った宗教家はいないわけです。

もし、楽々と豊かな宗教家がいたら狐狸の類いと言えるでしょう。

何故、宗教家には「試練」が必要だと。

そういうことで、人格がそれで磨かれていくのです。

絶対的なる孤独感の中に陥れられたときに、

魂の底から雄叫びのような声が出てきて叫ぶ!

そのときに深い部分で神様が聞いてくださるわけです。

これは、経営者も同じだと思います。

中々結婚出来なかったり、

中々子供が産まれなかったり、

やっと産まれても大変な環境や状態だったり、

神様は何らかの試練を与えて絶対的な孤独にいるように仕向けていく。

それは本当の神との交流があって、

まず「信心」の誠を築き上げなければ宗教的な人生と

宗教家的な人格を形成できないからそのような状況にされるわけです。

だからと言って人間って、どう転んでも幸せなんですよね。

この世的に恵まれないと思っている人は、あの世的には恵まれているわけです。

だから会社が倒産したって生きてさえいれば、また時が来たら再起できるわけです。

さて、

「私は、神社を参拝してるんですが、それなりのおかげを頂いていて、

また参拝して、教えられた事をそれなりに実践しているのですが、

今だに、なかなか神様というものが分からないんです。」

と質問を頂いたことがありました。

その人が、神様というものが分からない理由。

それは、その人が、今までに絶対的な孤独にいたことが無いからなんです。

その絶対的な孤独の境地に入ったこともないし、

神様〜という雄叫びを出した事もない。

絶対的な境地の中からの雄叫びが無いからなんです。

それでは、ただ、神社に行って来ました〜。で終わりです。日記じゃないんですから、、、。

宮司や神主と会ったと言っている人はいるが、

神様と会っている。という人がいないわけです。

団体参拝をしても

普段から絶対的な孤独にいないから、

本当の神様との交流ができないわけです。

瞑想したって無理です。メディテーション程危険なものはない。理由は瞑想の最中に魔が入るからです。瞑想なんてものは、ただ精神が奥に突き抜けるだけですからね。

魂というのは霊体じゃないんですよ。

私たちは、全知全能を秘めているわけですよ。

その全知全能を発見するために、皆で参拝したり、旅に出て書を学び、友と語るわけです。

私たちはどんな境地に追い込まれていても、

「神様の慈愛の中にいる」という事に気づかずにいます。

ところで、私は大本教の信者ではありませんが、

大本教の出口ナオはこのように言っていました。

「身体(み)の苦労など、

    気苦労などしてもらわんと、

    誠の神示は受け取れんぞよ。

    お嬢さんやぼんぼんでは

    神の御用などは出来んぞよ。」

と。

要するに、お嬢ちゃんやお坊ちゃんでは、いかんのだよ。

と言っている。

有名人の子供とか、官僚とか外交官僚とか偉さそうにしているけど、会ってみると本当にろくな人間はいませんよ。

皆様のように苦労している経営者の方が余程神に近いかですよ。

私は皆様に参拝する時に、

日本の事、政治の事を祈って下さい。と言っていますが、

日本が良くなるように。

政治が良くなるようにと祈ってはいるが、

お前ごときが、政治の事を言って何になるんだ。

と思う時があります。

政治や地球の問題だとかそういうことよりも

お前らが本当に「信心」が出来ていない事の方が、

日本にとって、地球にとって、問題なんだよ。

という事を真剣に考えているんです。

その前に自分自身を霊的に救うことが大事であり、

自分を肉体的に物質的に救うことの方が大事なのではないかと。思います。

さらに大切な事は「自らの信心を誠にすること」ではないのか。

1 誰々の弥栄がとか、2 日本の弥栄がとか、

「弥栄」の本当の意味を理解しているのかね?

「弥栄」とは、日本の神霊界の中心が弥栄え、

神様の御用に生きる私たち一人一人の御魂が弥栄えることなんです。

皆さん憶えたことを、参拝するときに言っていますが、

頭で上げるセリフは神とは感応はしないんですよ。

日蓮は、仏教だけではないという事を知ってましたか、

彼は、吉田家から吉田神道を伝授されていたわけです。

こんな話し令和塾では教えてもらえないですよね?

やはり、西邑の令和塾でないとこういう話しは出てこない。

本を読んで話せる話しなら意味がないわけです。

日蓮は、吉田家から神道を伝授され、魂を輝かせる事ができた。

魂を輝かせるチカラはやはり神道なんですよ。

神道の、、

伊勢の大神は日本国そのものを考えていらっしゃる。

だからこそ、そこ(伊勢の神宮)で、個人的な祈りはしてはいけないし、

個人的な参拝なんて考えてはいけないわけです。

以上のことを踏まえて、今月713の九頭龍神社参拝にいらして頂けましたら幸いです。

西邑清志 拝

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陛下と神道

今、この物語を見ると、

陛下と神道がどれほど素晴らしいものかわかります。